忘れられないものは、たいてい大げさなものではない。
記憶に長く残る瞬間は、むしろ何の説明もなく、特別な意味もなさそうで、過ぎ去ってからようやく心に深く入り込んでくるような場面だ。
だからだろうか、忘れようとするほどいっそう鮮明になり、つかまえなくてもひとりで蘇るものほど、より長く留まっている。

ときどき、そんなことを考える。
人は忘れるために生きているのではなく、忘れられない瞬間に耐えるために生きているのではないか、と。
思いがけず染み込んできたひと言、指先に触れたぬくもり、ふと交わった視線、取るに足らないと思っていた小さな微笑み。そんな瞬間たちが、時間が流れても確かに残り、日常の片隅を白く照らす。

人を忘れられないことも、同じだ。
その人を思い出すと理由もなく心が静まる日もあれば、内側が熱く揺さぶられる日もある。
ある日は何でもないふりをして通り過ぎても、ほんの些細な匂いや、似た声、 오래 묵은 새벽 공気のようなものから、ふいにその人の痕跡が蘇る。
忘れられないということは、忘れないと決めているという意味ではなく、その心の欠片が今もなお、自分という存在の内側にかすかに残っているということなのだろう。

忘れられないものは、不思議と私を変えていく。
その瞬間があまりにも痛かったからか、あまりにも温かかったからか、あるいはあまりにも短かったからか。
どんな理由であれ、私をどこかへ押し上げ、ときには立ち止まらせる。
懐かしさという感情も、よく考えてみれば変化のための力なのかもしれない。
ある記憶は私を慎重にし、ある記憶はもっと優しくさせ、またある記憶は二度と過去に戻れないことを知らせながら、それでも新しい道を教えてくれる。

忘れられないものを無理に手放そうとすると、かえって深く刺さってしまう。
だから私は、少しずつ受け入れることにした。
その瞬間たちはすでに私から離れたのではなく、私を形づくる一部になったのだと。
良くても、痛くても、もう戻らなくても、そのすべての時間は、私が歩んできた道の光と影を同時に抱えている。

ふと、そんなことを思った。
忘れられないものがあるからこそ、私たちは新しいものに出会い続けられるのではないか、と。
完全に空っぽにならないからこそ心は揺れ、揺れるからこそまた別のぬくもりを受け入れる余白が生まれる。

だから、忘れられないということは決して欠点ではない。
むしろそれは、生きていた証であり、誰かや、あるいは何かの瞬間を心から見つめていたということだ。

そして私は今日も、忘れられないものたちとともに、ほんの少しずつ前へ進んでいく。
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